苗場で躍動

皆さん、スキー映画第一弾の「躍動」は苗場スキー場をメインに撮影しました。

当時はバブルでどこのスキー場も大勢のスキーヤー(スノーボードはまだないころ)で賑わっていました。その中でも特筆すべきスキー場は苗場です。詳しい来場者数などは分かりませんが、朝からナイターが終わるまで混雑していた記憶があります。

映画の企画が始まったころ、撮影は苗場と誰もが考えていたようです。ちょうど中里でトレーニングしていた私にとっても都合が良かったのですが、なにせ混雑しいるスキー場での撮影は大変でした。スキーヤーが少ないタイミングを待って、待っての撮影は根気のいる時間のかかるものでした。

映画の撮影は初めて、しかも写真と違うのは滑走距離が短いものから長いものまで状況によって違いがあるのです。1枚の写真は50mくらいの時がありますが、映画は長いと500m以上滑ります。どちらも滑る前に打ち合わせをしますが、映画はカメラマンよりスキーヤー本位の時間帯があります。スタートしてから500m滑る間はスキーヤーに任されるのです。 したがって、スタートしてからゴール(およそ)までを、スタート前にイメージしてからスタートしなければなりません。 カメラマンのリクエストはおよその滑走ラインだけでライン上のレイアウトはスキーヤーに任されるのです。

リクエストしたラインを外すとカメラマンに叱られます(笑い) 例えば、青空バックの見えない所から飛び込んでくる撮影で、よーいスタートの合図があるとフイルムが回りピンポイントの固定しているカメラにスキーヤーが飛び込んでくる撮影で、ラインから2m離れるとスキーヤーが映らず青空だけの場合もあります。

写真撮影と映画撮影の大きな違いは滑走距離で、写真でアップを狙いとすると50mほど滑れば撮影できるのに対して、映画はスピードがはっきりと分かるので助走、撮影開始、終了まで少なくても100m~200mほど必要になります。歩いて登っても撮影できる写真と短くてもリフトなどを利用する映画、静止画と動画の違いが出るのです。

苗場の大斜面、コブコブの中をトップスピードで滑っていると一瞬です。雪煙の上がり方が半端ではありません(自分で言うのも恥ずかしいけど)およそ60km~70kmほどでコブをクリアしています。スムーズに滑るとこんな雪煙は上がりません。後ろに飛んでいるので見えないのです。この時はコブの頂点に着地した瞬間上がった雪煙でしょう。(推測)

左右の手の位置を考えると雪面を早く捕えようとする左手、逆に体が前のめりならないように後ろでバランスを保つ右手。このコンビネーションがハイスピードでも滑るれる自然体です。

基礎界に転向した動機である「見せるスキー」、私の手の位置が正反対の役割を果たしています。両手が同じバランスを保つ「綺麗」な滑りと対照的ですね。

ポールを滑っています。今のようにヘルメットや防具はまったくありません。立っているポールは「竹ポール」そして「赤」と「青」のフラッグが付いています。今どきの選手なら何の競技と首を傾けるでしょう。

そして「逆手」ではありません。皆さん、このポールをすり抜けるときのフォーム何て言うか分かりますか??? 正解は「ショルダーリバース」 今は死語ですが、ポール通過するとき内肩を前にして交わすフォームです。 今でもこのフォームはGSでポールをすり抜けるときに利用されています。

苗場のオフピステ、新雪です。やはり長い距離を滑っている一瞬でスキーのトップが浮いているほどスピードに乗っています。 この頃、オフピステを滑る日本人は稀でコースを出ると新雪(パウダー)だらけでした。 パウダーをどれだけ速く滑って見せれるかが課題です。 今考えるとパウダーを滑ったことで後傾バランスを覚えたと思います。 当時は前傾、外足荷重、が鉄則で後傾や内足荷重はタブーだった時代です。

3枚の写真から時代の遍歴が分かりますね!!!! 次回は私の若い時の写真も紹介します。