秋田の田舎からスタート

皆さん、前回の「躍動3枚の写真」は如何でしたか!!!

今回は私の幼少期から学生の頃まで紹介します。と言っても格段凄いことなどはなく田舎の子供時代と思ってください。 秋田の山奥にある田舎町「A町」は江戸時代から鉱山と林業で一時栄えましたが、今は過疎化で人口も減ってしまいました。 秋田内陸線は南は角館から北の鷹ノ巣までのどかな鉄道が走っています。中間地点より北寄りにA町があります。 幼少期はスキー場はありましたがリフトはありません。しかし、地元の営林署などの皆さんがスキーを行っていたので小学生から中学生まで雪を踏み固めてスキーを滑っていました。

小学校、中学校が一緒に行う「学童スキー大会」が子供たちの大きな目標で、この大会が無ければ今の私はないでしょう。 学童スキー大会を目指して学校にスキークラブがあり、大会が終わるとクラブ活動はなくなります。 小学校時代は他の子供と同じくらいのレベルで大会ではよくゴール前で転倒していました(笑い) 中学校になると少しづつ勝てるようになり、3年の時は県大会にも出場し県外の大会にも(青森県、岩木山大滑降)遠征するようになりました。

同じスキー部の仲間は運動が優れている選手が多く、冬はスキーで県大会では優勝し、夏は野球部でピッチャー4番の選手もいました。当時、野球にも憧れていた私でしたが野球は右投げで片方の動きに対して、スキーは左右均等の動きが必要になるため野球は出来ませんでした。 夏場は一人山の神社などでボッチトレーニングです。

高校に入るとスキー部は1年中活動していたため、ひょろひょろな私の体は大きく成長しました。 大会も県大会、全国大会、国体、全日本スキー選手権も経験することが出来、全国レベルで戦うことを覚えました。 3年生の時、夏休みを利用して約1ヶ月南半球のオーストラリアに親善スキーで海外遠征も体験しています。 この時の体験が全国レベルに近づいた要因となっています。

高校時代の成績は国体7位が最高位でインターハイは10位です。 したがって大学推薦はランクは2番目でした。 C大に推薦で入学でき全国から集まった仲間と地獄のトレーニングを経験し、インターカレッジが主戦場となり仲間と一緒に様々な経験を積むことが出来ました。 当時の仲間は今でも交流があり代えがたい仲間です。

幼少期から学生時代までの写真を紹介します。

子供時代の写真です。 左に父親、右が姉、他に3人の兄達がいます。 記憶にないので小学1年くらいかもしれません。 右の姉をご存じの方もいらっしゃると思い二人だけ紹介します。

当時のスキー用具はまだ長靴に単板のスキーだったと思います。ストックは竹、スキーウェアはありません。スキーから帰ると台所で固まった雪が解けるのを待っていた記憶があります。 寒い、寒い日でも毎日スキーをしていました。

中学生の大会で優勝した時の写真です。 スキーは合板になりビンディングはラグリーメン(固定式のビンディング) スキー靴は皮製で、ストックはトンキンと言われる竹で出来ています。

直滑降するときの姿勢です。この頃は「クローチング」を知りませんでした。スキークラブでも個人で滑るときも初めは必ず「直滑降」です。それからポールトレーニングが順番でした。フリースキーはもったいないのであまりしていません。その代わりトレーニングとなるプロペラターンやスケーティングなどはよくトレーニングしました。

今はスキークラブや少年団にコーチがいて指導体制が整っていますが、私の時代は特別なコーチはいません。しかし、大人や高校の先輩が遠征から帰ると「こんな滑りがある」と言って教えてくれました。 そんな状況で一番の情報源は私の父親です。 自分の滑りをマネしては育たないと言ってスキーを止めました。その代わり雑誌や大会の情報を教えてくれ私の目標を与えてくれます。身近なことでは、小学生の時は中学生に勝て、中学生では高校生に勝て、高校生の時は大学生に勝て でした(笑い)

次回はWCなど大会の滑りを紹介します。